劇団献身第9回本公演 『幕張の憶測』(シアター711)
軍師曰く、話自体は前回見た『憧れの雪国』のほうがおもしろかったそうな。
目立つ大きな瑕疵は、劇中に出てくるストリートファイターⅡ似のキャラクターが暴走族のメンバーだということ。暴走族という言葉から我々が想起するのはリアルで直接的な暴力の持ち主であることであり、ゲーム内において強キャラである(≒幻想的な暴力の持ち主である)こととはいかにも折り合いが悪い。フィクションの暴力に我々はひるまないが、リアルの暴力の前には首がすくむからだ。
この水と油の関係は劇の最後まで解消されず、ラストでは主人公の幻想世界での戦いにもつれこんで、夢とも現ともわからぬ戦い(暴力)の決着をもって物語は一件落着となる。そして、観客は一抹のおいてきぼり感を覚えてしまう。幻想の暴力でリアルの暴力が解決してしまったようにも見えることに納得がいかないからだ。
もちろん、劇中において実際に問題を解決したのは主人公の自傷と恩人が受けたリンチというリアルな暴力であることは暗示されており、リアルの暴力をフィクションの「きれいな」暴力に主人公の内面でどのように転化させるのかが物語の鍵であったことは軍師も理解しているそうだ。
つまり、ラストの戦いが夢であることに問題はない。が、そこへ観客を導く過程で、幻想とリアルふたつの暴力の水と油の関係を解消させるなりより深く対立させるなりして物語上対となる存在であることを明示しておけば、ラストの印象はもっと深くなったのではないだろうか、ということだ。
くどくど文句を垂れたが、オタク少年が幻想世界で決着を付けたことをラストに持ってきた意義は高く高く評価されるべき、だそうだ。この結末は、暴走族が溢れる幕張という舞台そのものをフィクションへと変化させるメタフィクション構造のどんでん返しでもあり、また、決意と行動は、物語上、かならずしもリアルのレベルで固定されるされるものではないというメッセージ性を持っているものでもある。
軍師曰く次回も期待、らしい。
格ゲーはまったく知らないので、ストリートファイターⅡのキャラも知らない。暴力的なものも好きじゃないので、今作はつまらないかな、と思っていたけどそうでもなかった。全体的には楽しめたのだけど、アンフェアなことやものが苦手なので、恩人さんが嘘をつかれていたことに気づいたシーンは辛かった。話の展開的に無理なことはわかっているけど、やさしい嘘なら最後まで騙してあげてほしかったな、と。ただハッピーエンドだったのは救い。
12月に次の公演があるのをいまから楽しみにしている。
青蛾館『寺山音楽劇 中国の不思議な役人』(東京芸術劇場 シアターウエスト)
普段寺山を天才と崇めている軍師曰く、弘法も筆のあやまり。駄作判定。
寺山は、事象の連続性によって物語をつくるのではなく、事象が暗喩するモノの連続性によって物語をつくる。
おそらく彼は感覚の人で、親とか母とか孤独とかをモチーフにしているうちは天才の冴えを発揮するが、自身が鷲掴みできていない日本帝国軍とか戦争とか上海とかのモチーフを選んで理屈で物語をつくりだすと、暗喩するモノの連続性が失われ、話がぼやけてありきたりになってしまうのだろう。
劇中、一般の中国人が仮面をかぶりアノニマスであることを誇示していたことから、不死である「中国の役人」ひとりがこの演劇における中国および中国人全体を体現していると考えられる。それと娼婦である女たちの生きざまと行く末を合わせてみると、『七人の侍』の村人の如く、野盗と侍が合体した存在である日本帝国軍がいろいろやって去ったあとも中国(人)は依然として変わらずそこにありますよ、とか……。
適当な解釈ならいくらでも可能だが、軍師が言うには他の寺山作品に比べていまひとつ締まらないらしい。
「毒薊」役の女優さんに見覚えあり、とまた軍師が言い出したので調べたところ、去年見たgood morning N°5『ケツラク』で、半裸で怪演していた女優さんだった。私は顔認識が弱いので、メイクとかですぐ分からなくなるなー。
珍しくJRで池袋に出たので、観劇前にひさびさに【キャンプ エクスプレス 池袋店】の一日分野菜カレーを食べた。あいかわらず美味しい。開店時間が遅くなる旨の貼紙があったけど、朝食からカレーというのは、ちょっと重いのかな。
コントマンシップ・カジャラ#2『裸の王様』(銀河劇場)
軍師は基本的にショートコメディーを好まないのだが、小林賢太郎は好き.
「丘を越え、ゆこうよ~♪」の次の歌詞を使わず、観客を宙ぶらりんにさせた上で笑わせ、上記のネタを天丼しさらに笑いをとって、最後に歌詞を全部歌って、観客に落ちつく場所をきちんと与える等、小林賢太郎の笑いは一から十まで計算づくで、見事だと。
前回に引き続き、面白かった。ぜひ年1ペースでやってほしい。
久々の天王洲アイルかつ、ちょっと早めに着いたので、【breadworks 天王洲】でサンドイッチなどを購入。
初めてのボックス席で、雰囲気はよかったけど、舞台に対して平行じゃないから首が少し痛くなった。
次はどこの会場になるのかな。チケット争奪戦が激しくないことを希望。
あとルーベラを入手し食べた、ヴァーッ!
劇団献身スタジオ公演『女の壁/憧れの雪国』(スタジオ空洞)
・『憧れの雪国』のみ観劇
軍師曰く、馬鹿馬鹿しいコメディーを馬鹿馬鹿しいまま提示して観客を笑わせるのはすごい、と。
ちょっとダメなところのある登場人物たちが、いろいろあって、笑って泣いて決着して、でも最初と比べてもたいして成長もしていないというのはドラえもんにも通じる。変なひみつ道具も出てくるし。たいへんおもしろかった。だそうな。
はじめての劇団だったけど、あまりに面白かったので『女の壁』も観るかどうか思案したけど、土日両日池袋に出て行くことの億劫さに負けて断念。
5月に本公演があるとのことだったので、それを楽しみに待つことにした。
なんか主宰に見覚えがある、と軍師が言ったので、調べてみたら、ゴジゲンの『ごきげんさマイポレンド』に出ていた役者さんだった。
意外に軍師は役者の顔を覚える能力が高いなー。ちょっと見習いたい。
鋼鉄村松 『オセロ王』(花まる学習会王子)
軍師曰く、たいへんに惜しい舞台だそう。
一発ネタとしての素材は宝石のように輝いており、それだけでとてつもない価値があるが、料理人がヘボすぎると言っていた。
この題材の新規性は、「肌の色の違いによる差別・被差別の境界線が毎朝のドーランの塗り分けにすぎず、それゆえにこだわりを捨てられない者たちがいる」ことにある。わたしたちの中にある差別・被差別を生む感情を、ドーランを塗るという、やめようと思えば誰でも明日にでもやめられる行為によって可視化してみせたことがなにより素晴しい。いくら誉めても誉めたりない。
これは、今日のわたしたちの社会に内在し、見えないふりをしている問題を鋭く抉り出している。にもかかわらず、肝心なその部分をエッセンス程度にしか使わず、ありきたりなヒューマニズム演劇をくどくどと見せつけてくる。
たいへんに残念だと言っていた。
久々の王子だったので、【明治堂】で甘食を購入。ホントいつ食べても美味しい。家の近所に欲しいパン屋だ。
劇団東京乾電池公演『やってきたゴドー』(駅前劇場)
軍師曰く、別役先生はやはりすごい。
いままでいくつか見たゴドーフォロワーの中でも群を抜いているだそうだ。
この劇では、タイトルどおり、ゴドーは冒頭でいきなり現れる。しかし、ゴドーを探しているいるはずの二人は、ゴドーに「自分はゴドーです」と紹介されても、ゴドーのことをゴドーだと認識しない。これがこの不条理劇を貫くルールだ。
「誰もが、誰かを探しており、なおかつその探している人物が目の前にいるのに、自分の目的の人物だと認識せずにすれ違って探しつづける」状態が、ゴドーを除いたすべての登場人物に降りかかり、最後まで解消されない。
『ゴドーを待ちながら』のテーマが、それ(救済でも幸せでもなんでもいい)を求めながらも、けして手に入らない大衆の諦観と飢える日常と行動の愚かさだとすると、別役実が設定したゴドーのテーマは、青い鳥が目の前にいるのにそれと気づかず別の場所を探しつづける現代人の諦観と飽食の日常と行動の愚かさだと言える。
登場人物が置かれたたらい回し状態はカフカの『城』にも似ているが、誰かにたらい回しにされる一方でその人物は誰かをたらい回しにしているという円環構造をつくりあげてる点において、非常に現代性が高い。原作ゴドーの登場人物は一方的に搾取される存在だったが、現代のゴドーの登場人物は、搾取されつつ、同時に他者から意図しない搾取もする存在なのである。
素晴らしい。だそうな。
ちなみに私は、軍師と違って、ゴドーのフォロワー劇はいくつか見ているんだけど、機会を逸していて『ゴドーを待ちながら』そのものはまだ見ていない、という不思議な状態が続いている。
あと、開場前に演出の柄本明がうろうろしていた。舞台上やスクリーンの中ではすごい役者さんなのに、駅前劇場の薄暗い階段では、ただのおっさんにしか見えなくておかしかった。なんか見たことある人がいるけど、誰だっけ?って一瞬思っちゃった。