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司馬懿日記

横山三国志好きの我が家の軍師と行った、劇や映画の記録を残しておくための備忘録ブログです

劇団東京乾電池公演『やってきたゴドー』(駅前劇場)

 ・別役実鶴屋南北戯曲賞受賞作

 

軍師曰く、別役先生はやはりすごい。

いままでいくつか見たゴドーフォロワーの中でも群を抜いているだそうだ。

この劇では、タイトルどおり、ゴドーは冒頭でいきなり現れる。しかし、ゴドーを探しているいるはずの二人は、ゴドーに「自分はゴドーです」と紹介されても、ゴドーのことをゴドーだと認識しない。これがこの不条理劇を貫くルールだ。

「誰もが、誰かを探しており、なおかつその探している人物が目の前にいるのに、自分の目的の人物だと認識せずにすれ違って探しつづける」状態が、ゴドーを除いたすべての登場人物に降りかかり、最後まで解消されない。

ゴドーを待ちながら』のテーマが、それ(救済でも幸せでもなんでもいい)を求めながらも、けして手に入らない大衆の諦観と飢える日常と行動の愚かさだとすると、別役実が設定したゴドーのテーマは、青い鳥が目の前にいるのにそれと気づかず別の場所を探しつづける現代人の諦観と飽食の日常と行動の愚かさだと言える。

登場人物が置かれたたらい回し状態はカフカの『城』にも似ているが、誰かにたらい回しにされる一方でその人物は誰かをたらい回しにしているという円環構造をつくりあげてる点において、非常に現代性が高い。原作ゴドーの登場人物は一方的に搾取される存在だったが、現代のゴドーの登場人物は、搾取されつつ、同時に他者から意図しない搾取もする存在なのである。

素晴らしい。だそうな。

 

ちなみに私は、軍師と違って、ゴドーのフォロワー劇はいくつか見ているんだけど、機会を逸していて『ゴドーを待ちながら』そのものはまだ見ていない、という不思議な状態が続いている。

あと、開場前に演出の柄本明がうろうろしていた。舞台上やスクリーンの中ではすごい役者さんなのに、駅前劇場の薄暗い階段では、ただのおっさんにしか見えなくておかしかった。なんか見たことある人がいるけど、誰だっけ?って一瞬思っちゃった。